Vol.30 原爆ドーム 〜広島観光記番外編

広島には2つの世界遺産がある…
その1つは厳島神社、そしてもう1つが原爆ドーム。
原爆ドームが世界遺産って… 何か違和感があるけど、とにかく「これは世界的に残すべきもの」と認定されているのだから、それはそれで納得はいく。

で、広島に行ったからには、やはりこの目でそのドームを見なければ…
というわけで、夜と昼の2度、行ってみた。

広電の「原爆ドーム前」で下車。まさに目の前が、その原爆ドームである。
今までテレビなどで見て、勝手に想像していたのだが、実物を目の前にしてみて、その小ささにちょっと戸惑いつつ、ゆっくりと近づくと…

どうみても「無惨な廃墟」である。猛烈な爆風と熱によって、一瞬のうちに中にいた人間を消滅させ、ビルの鉄骨がグニャリと曲がったことは容易に想像できた。
「なんてこと、しやがるんだ、まったく…」思わず、口をついて出た言葉だ。
夜間、ライトアップされていることもあって遠目にはキレイに見えなくもないが、近づいてみるとライトに浮かび上がるその姿に重い沈黙を強いられる。

戦争をすると、こういうことも起こるのだ… 敵を倒すためには、人間はここまで残酷なことをする生き物なのだ…

翌日の昼間、今度はドームの隣にある平和記念公園にも行ってみた。ここにも、テレビでよく見る慰霊碑がある。「過ちは2度と繰り返しません」と書いてある、あの慰霊碑だ。

過ち… 確かにそういう面もあるとは思う… だけど…
果たして我らの国は、ここまでされなければいけない"過ち"を犯したのだろうか? 瞬時にものすごい数の人間、それもほとんどが非戦闘員である人間を殺されなければならない過ちを犯したのか?

僕はアメリカの原爆投下は、あの国が行った実験だと思っている。実際に作り上げた大量殺戮兵器の効果を、実際に使ってみて確かめたかった。その実験の場として、日本の国土を使った… そう思っている。
戦争を早期に終結させるために、やむなく原爆を投下したという話も聞いたことがあるけど、当時の日本は、すでに国土の大半が焦土と化し、瀕死の状態だったと思う。そこに、さらに原爆の投下、である。これは人道的に許されるものなのか?と、思うのだ。

そんな思いを抱えながら、慰霊碑に手を合わせた… その瞬間、何とも言えない感情がこみ上げてきたことに、自分でも驚いた。それが何だったのか、正直、よくわからない。でも、とにかく厳粛な気持ちになったことは間違いない。

その後、ふと自分のまわりを見回していると…

原爆ドームをバックに記念写真を撮る日本人がけっこういることに気がついた。ドームを写真に撮ることは良いと思う。でも、彼らの多くは、自らもその写真に収まり、さらにピースサインまでしているのだ。
なぜ? なぜ、そんな行為ができるのか? 同じ日本人として不思議でならない。そして、何とも言えない情けない気持ちにもなった。
むしろ、ドームを見に来ていた外国人の方が、謙虚な姿勢でいたことが印象深かった。

原爆ドーム…
日本人なら1度はその目で見るべき。世界遺産だから、ということではなく、日本人だからという理由で…
あのドームがあの形で今に残っていることは、それこそ運命ではないかと思う。だからこそ、我々日本人はその目で見るべきなのだ。