Vol.33-7 ジロ・ストーリーPart7

さらば相棒

 癌という大病を乗り越え、迎えた2010年。手術の影響なのか、散歩時の体 力などは目に見えて衰えてはきたが、ジロの気持ち(心持ち)は相変わらず若い時のままだった。しかし、この年の夏は記録的な猛暑で、さすがのジロもいつに なくバテ気味に… そんなジロを気遣ってKさんから「避暑も兼ねて夏の間はウチで預かるよ」という連絡があり、その言葉に甘えてジロは猛暑の中、快適にK さん宅で過ごせることになった。ジロの為にわざわざ日陰を作り、昼寝をしている時には冷たいタオルをかけ、玄関に入れた時は扇風機で風を送り… ジロに とって、これほど快適な夏は生涯なかったかもしれない。

 9月下旬、暑さの峠を越えたと思われる時期になって、ようやくジロは帰宅。そこから12月初頭まで、彼はまた自宅で過ごすことになった。これが、僕が実質的にジロの世話をした最後の期間となったのだ。

 2010年の年末から翌年の1月にかけて、僕の仕事はいつになく地方に出るものが多く入っていたこともあり、12月から1月にかけての約1ヶ月間、ジロは再びKさん宅へ。1月下旬、そろそろジロを引き取ろうかと思っていたある日、Kさんから連絡があった。
「ジロの様子がおかしい。食欲もないし、足もフラついてるし、なんか今までにはなかった感じがする」
 今にして思うと、よくぞここまでジロのことをしっかりと観察してくれていたものだと感謝感謝なのだが、とにかくその時は「それじゃ、とりあえず病院に連れていこう」ということになった。
 病院での診察結果は腎不全だった。それも、かなり進行しているとのこと。年齢から考えて、劇的に回復することはないという話もされた。しかし僕には不思議とショックとか悲しさはなく、むしろ「いよいよか」という覚悟ができた瞬間だったように思う。
 先生との話し合いでは、とりあえず点滴を毎日打ちながら様子を見ていこうということになった。毎日の点滴は病院ではなく、家で打つことに… え? 僕が 点滴を?…という不安を僕が感じたのを察知してか、なんとKさんが「ウチで当分預かる」と申し出てくれたのだ。実はKさんのご主人は医療関係の現場で働い ておられる方で、点滴を打つなどの医療行為はごく当たり前のことだったのである。なんという有り難さ! そして… 今にして思うのは、Kさん夫妻との出会 いやジロを預け始めたことは、結果的にこういうことに結びついていたのだということ。大げさな言い方だが、これこそ運命ではないだろうか。

 というわけで、1月下旬からKさん宅でのジロの療養生活がスタートした。僕は仕事の合間をぬってKさん宅に赴いたり、週1回の診察・治療のためにKさん夫妻がジロを病院に連れてきてくれる際には、なるべく同席するなど、何とかジロの様子を見守るようにした。
 ジロは会うたびに衰えが目立つようになっていった。最初はフラつきながらも自力で歩けていたのが、後ろを抱えなければ歩けなくなり、それもままならなく なると立っての排泄ができなくなり、食欲はほとんどなく、体はみるみる痩せ細っていき… 気がつけば25Kgあった体重が17Kgになっていた。そんな状 態であるから、元気だった頃のように豊かでひょうきんな表情がどんどんなくなっていったのも当然だが、それでも彼の目つきやわずかな仕草には、まだ「ジロ らしさ」がちゃんと残っていたのだ。そして、それは最期の瞬間まで消えることはなかった。何よりも僕は、このことが一番嬉しく思えてならない。
 いよいよ足が利かなくなると、ジロは完全な寝たきり状態となった。そしてついに、彼の下半身に床擦れが発生。人間だけでなく、犬にも床擦れがあるという ことを僕は初めて知った。世間ではあの東日本大震災が発生し、ガソリンが足りない、電力が足りない、原発が大変、という騒ぎをよそに、ジロはマイペースで ゆっくりゆっくり下降の歩みを進めていた。そのゆっくりしたペースのおかげで、元・妻にもジロを会わせることができたことも、僕にとっては嬉しい出来事の 1つである。

 2011年4月… 僕はこの月に2回、海外での仕事が決まっていた。正確に言うと、海外に向かう豪華クルーズ船に乗り、その船の中での仕事、である。ど ちらも日本を10日間離れることになっていた。その頃のジロは、最も下のラインで一進一退を繰り返すといった状態。したがって僕は、まず1回目のクルーズ に出る前にKさん宅を訪れて、最後の対面のつもりでジロに会いに行った。床擦れの治療、毎日の点滴、少しでもいいから何か食べさたいとアレコレと調理した りと、Kさん一家総出でジロの世話をしてくれていた。そして当のジロは、やはり相変わらず… 当然のような顔をして、その有り難い世話を受けていたのだ。 何というマイペースな犬!
 そんな、ある意味図々しい?犬の表情には、まだ元気な光があったように思う。「これは、まだ持つな」というのが、その時の僕の直感である。案の定、1回 目のクルーズから帰国しても、ジロはまだまだ、それなりに元気で生きていた。ただ、さすがに床擦れが痛く感じるのと思うように寝返りが打てないことで、夜 中だろうが昼間だろうが、のべつまくなしに鳴いてKさん一家の手を煩わせるようになったこと、そして床擦れの傷から虫がわき始めてきたことで、Kさんたち の負担が急増。さすがに、それ以上お世話になるわけにはいかないと思い、かねまき動物病院で預かってもらうことにした。
 4月23日。もはや治療ではなく、最期の時間を穏やかに過ごすためだけにジロ入院。Kさん夫妻に車で運ばれてきたジロは、どこかホッとしたような顔をし ていた。まだまだ生きたい!というより「あ、これでスーッて逝けるんだね」っていう安心感… そんな感じだったんだと僕は思っている。
 この日からクルーズに出る前日の4月28日まで、僕は毎日仕事の合間に病院を訪れた。結果的には最期を看取れなかったものの、本当の最後に毎日ジロに会えていたことは、何よりも幸せなことだったと思う。
 そして4月28日。翌日の出発を控えて、僕はいつもより多くの時間、ジロのそばで過ごした。先生との話で、今回はさすがに僕の帰国までは持ちそうにないことは容易に察知できたし、僕もそのつもりで行ったのだ。
「ジロ、もう無理すんなよ」というのが、最後にかけた言葉だった。もう充分生きたよな? すごく楽しかったし、いい人生だったじゃん。最期までみんなが良くしてくれて。ホント、羨ましいぜ… そんなことも心の中で語りかけた。
 4月30日。クルーズ船の中でのライブを終え、船内のパソコンでメールを開いた中に、かねまき先生からの知らせを発見した。
「本日17時、ジロちゃん亡くなりました。朝からウトウトしていたのですが、午後になって意識が低下し、最期は眠るように亡くなりました」
そう、安らかに最期を迎えてくれたのである。これほど、飼い主にとって幸せなことはないと僕は思う。

 今ジロは、遺骨となって大きな骨壺に入り僕の部屋にいる。まもなく、今の家の庭や散歩コース、Kさん宅、そして以前住んでいた家の散歩コースなど に散骨するつもりだ。それが僕なりの、ジロにしてやれる供養なのだ。そして彼の写真は、先代ジロと自分の親父の遺影とともにパネルにおさめて部屋に飾って ある。16年という、犬にしては長寿を生き抜いた、いや「生き切ってくれた」2代目ジロ… 家族というより、僕の相棒だったような気がしてならない。だか らこそ、悲しさはあまり湧いてこないのだ。

お疲れ、ジロ! じゃあな、相棒!